こんにちは。てんすけです。
ガンダムシリーズの大大大ファンです!!
水星の魔女、最高におもしろいですよね!!
私も毎週楽しみすぎて、もうこれを見るために生きていると言っても過言ではないほどハマっています!!
さて、さらに嬉しいことに水星の魔女が初めてのガンダムという方もたくさんいるとのこと!!
幸せすぎます!!
そして、めちゃくちゃ羨ましい!!!
ただ、水星の魔女が初めてのガンダムという方からこういった質問をされました。
ガンダムってもっと難しいと思ってたけど、他のもこんなのなの?
そもそもガンダムってどんなシリーズなの?
この質問を受けて、ガンダムとは何なのか?について書こうと思いました。
具体的には、ガンダムというタイトルを冠する作品は何を描いたものなのかを伝えられるといいなと思い今回の記事を書きました。
なお、「他のガンダムも見てみたいな〜」と思った方への解説はこちらの記事をご覧ください。
ガンダムとはどんなアニメなの?
ガンダムとは、
人間賛歌を描く群衆ドラマ
です。
そんなに目新しいものではないんです。
わりとどんな作品でもやっているものなんです。
これを、ロボットアニメとしてそれぞれの時代に生きる人たちに共感性豊かに描いているというのが、ガンダムというシリーズのオリジナリティ。
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
そして2020年代
それぞれの時代でガンダムシリーズは作られていますが、すべての時代の価値観に合わせて人間賛歌を描く。
こういったアニメがガンダムのタイトルを冠しているのです。
ガンダムを構成する要素
さて、ガンダムシリーズにおいてはすべての作品で次のことが描かれています。
①人と人とがわかり合う方法
②戦争(またはそれに準ずる闘争)
②戦争を舞台にして、①人と人とが分かり合う方法を描く。
だからこそ、人間賛歌のドラマとなるのです。
これは、初めて宇宙世紀以外のガンダムとして作られた「機動武闘伝Gガンダム」によって明らかとなったガンダムの定義です。
ファーストガンダムの場合、①がニュータイプ、②は連邦とジオンの一年戦争となるわけですね。
個人的には①の描き方が、宇宙世紀シリーズを超える面白さになるかどうかかかっているように思います。
例えば、「機動戦士ガンダム00」では①を『めちゃくちゃ大変だけどイノベイターになったら対話のスタートラインに立てる』とファーストガンダムのニュータイプを現代的に再解釈するという方法をとっていました。
また、「機動戦士ガンダムSEED」では①を『表面的には解決しても人種問題は分かり合うことができない』と、受け取り手に想像を残すような形で描いています。
このように、②戦争を扱うからこそ、①人と人とがわかり合う方法を描く。
これが全ガンダム作品に与えられた宿命であると言えます。
水星の魔女で描かれているガンダムの要素
では、最新作「機動戦士ガンダム水星の魔女」で描かれた①②の要素はどんなものがあるのでしょう。
もちろん、本作は完結していないので私個人の解釈です!
①人と人が分かり合う方法
→親と子がそれぞれの生き方を認め合う
スレッタとプロスペラ、ミオリネとデリングを中心にとにかく水星の魔女では親子関係を丁寧に描いています。
実はこの親子関係という視点は、「機動戦士ガンダム」からずっとサブテーマとして描かれていたのです。
例えばアムロ・レイ。
彼は幼少期に父テムに連れられて宇宙へと移住します。
テムが宇宙へ移住したのは、ガンダムなど地球連邦の兵器開発に没頭するため。家族のことなどまったく省みない父親なのです。
一方母親のカマリア。
彼女は彼女でテムとアムロの移住を止めるどころか、自身は地球に残り別の男性と家庭を築きます。
さらに再会したアムロをかんたんに見捨てます。
このように宇宙世紀を舞台とするガンダム作品では、主人公たちはすべて機能不全家族として描かれていました。
ただ、これは戦争を舞台としている以上仕方のないことかもしれません。家族関係というものは、世界の動きに比べてミクロの視点すぎて盛り上がりにかけるし、描ききれないというのはすごく納得できます。だから、さらっと示唆するに留めていたのでしょう。
しかし、水星の魔女では、この視点をメインにしました。
変化球に見えて実は王道すぎるガンダムの描き方。
なぜなら水星の魔女は令和に生きる10〜20代をメインターゲットにしているから。
プロスペラ、デリングは砕けた言い方をすると、現代では毒親と呼べる存在。
現代に生きる若者たちは、想像以上に過酷な家庭環境で生活をしています。
そこに共感性をもたせるために、改めて親子を描くことにした。
私は第1話でこの視点に気が付いた時、水星の魔女は令和のファーストガンダムになると確信しました。
それほどまでに、現代において描かれるべきテーマであり、ガンダムとして分かり合う方法として描くべきテーマだと思ったからです。
反面、②戦争という点はミリタリーの魅力をすべて取り去って描くという割り切ったやり方をしていると言えます。
②戦争
→学生視点の決闘、大人視点の企業間闘争
あくまで若年層視点に立つ。よって、身近な戦争は学生の間で行う決闘。どうやら大人たちは外で戦いをしているぞと示唆するのみ。
第11話以降は広がりを見せそうですが。
これはすごく割り切った描き方であり、「機動武闘伝Gガンダム」に似ているなと思いました。
決闘=ガンダムファイト
企業間闘争=国家間闘争
というふうに。直接的な戦争を描かなくても、戦争(闘争)の中で人と人とが分かり合う方法を描けばガンダムというのは過去の作品で証明済み。
つまり、①②ともに作中で描かれている「機動戦士ガンダム水星の魔女」は紛れもないガンダムシリーズの一員と言うわけです。
最後に、毎回必ずでる
こんなのはガンダムじゃない!!
という意見について一応触れておきたいと思います。
ガンダムじゃない=宇宙世紀が舞台じゃない(読み飛ばしOK)
多くの場合はガンダムじゃないとは、宇宙世紀が舞台じゃないという意味を指します。
宇宙世紀とは、第一作目「起動戦士ガンダム=ファーストガンダム」から連綿と続くシリーズ。
富野由悠季監督が原作をしたシリーズを指します。
この定義で言うなら水星の魔女はガンダムじゃないです。
ただ、一昔前ならともかくとある作品が登場したと同時に、この宇宙世紀が舞台じゃなかったらガンダムじゃないという前提はくずれています。
その作品とは
宇宙世紀シリーズのみが冠するはずだった「機動戦士」を宇宙世紀を舞台としないガンダムで初めて冠したのがSEED。
ガンダムSEED以降は、「機動戦士」=宇宙世紀という常識もくずれ、すべてのガンダムは富野由悠季監督作品と同列に語られるようになりました。
そのため、「ガンダム」と呼ばれるロボットが出てくれば基本的にその作品はガンダムであると認知されるようになったのです。
おわりに
以上で、めんどくさいガンダムオタクの語りは終わりです(笑)
とにかく初めてのガンダムが水星の魔女であるという人は、めちゃくちゃ幸せですということが伝われば幸いです。
そして、ぜひぜひ他のシリーズにも興味をもってくれるとファンとしてはめちゃくちゃ嬉しいです!!