こんにちは。てんすけです。
今回の記事では、ディズニープラスで限定配信されたスタジオピクサー最新作「私ときどきレッサーパンダ」の感想と考察を書いていきます。
率直に感想を言うと……
大好きです!!
好きすぎてそのままディズニープラスで配信されているメイキング「レッサーパンダを抱きしめて」も見てしまいました。
その上で思ったことをこちらに書いていきたいと思います。
考察部分はネタバレとなりますので、未視聴の方はご注意を。
「私ときどきレッサーパンダ」はDisnyプラスで見ることができます。
あらすじ
いつも“マジメで頑張り屋”のメイは、ある出来事をきっかけに本当の自分を見失い、感情をコントロールできなくなってしまう。悩み込んだまま眠りについたメイが翌朝に目を覚ますと…なんと、レッサーパンダになってしまった!一体どうすれば、メイは元の人間の姿に戻ることができるのか?この突然の変身にはメイも知らない驚きの<秘密>が隠されていた…。そして、様々な人との関係を通してメイが見つけた、本当の自分とは?
公式ページより
ネタバレ感想
90年代&00年代アニメオマージュ盛り沢山
まず思ったのがこれです!
随所に見られるオマージュの数々!
しかも1つ1つに愛を感じる使い方なんですよ。
特に憧れの異性を見つめる時の目。
90年代の日本のアニメーションに限らず、世界で多く取り入れられた日本発祥の技法と言われています。
この技法をかつてないほど効果的に取り入れたアニメは、みなさんご存知「美少女戦士セーラームーン」です!
本作にこめられたテーマや、監督のバックボーンを考えるとオマージュのメインとしては納得の作品だと思いました。
他にも、「プリキュア」シリーズのような変身シーンや、「ドラゴンボール」「ワンピース」「ナルト」といったバトル描写も随所に見られました。
本当にいろんなオマージュがこめられており、過去の良いものを最新技術によって取り入れてさらに良いものを作ろうという制作陣の気概を感じました。
特に私が驚いたオマージュを紹介します。
それは集中線によるスピード感の表現!
上の画像のようによく使われていたのは、「ドラゴンボールZ」が超有名。
しかし、メイキングを見ると、監督のドミー・シー氏のファンアートに次の作品が……
集中線のカットインによるスピード感の表現は、たしかにこの作品がわかりやすい。
なんか、早口で語っているみたいにだーっと書いてきましたが、とにかく私が感動したのは、同世代で好きなものが似通った方が作品を作る側に回っていることがわかったこと。
二次創作からオリジナル制作の側に回るというルートが、ピクサーという巨大な組織においても生まれているということ。
ドミー・シー氏の作品は無条件に応援していきたいくらい、今作で大好きになってしまいました。
実は「インクレディブル・ファミリー」で同時上映された「bao」も氏の作品だと後で知って驚いております。
リアルな思春期の心理描写
先述したのは、アニメの演出面の話。
ストーリー面でも最高だった部分があります。
13歳の少女の心情をここまでリアルに描くかと。
母の暴走に対してベッドでバタバタ
ベッドの下で好き勝手にイラストを描く
いろんな面で当事者だからこそ言える部分を徹底的に細かく描いているんですね。
また、メイの描写だけがリアルというわけではありません。
メイの母、ミンの心情描写。
過保護になってしまう彼女は過去に何があったの?
わざわざ言及しなくとも、それが自然と伝わってくるような彼女のセリフや行動。
ティーンエイジャーを子にもつ親も視聴対象としていることがわかりました。
制作陣が女性を中心としたチームとなっていることで、様々なメンバーの経験が集まり、この細かな心理を描くことができたのでしょう。
物語の舞台を2002年としているところも、制作側のリアルな学生時代を投影しやすくしているのかなと思いました。
徹底的な調査を元に2018年の思春期を描いたこの作品とはちょっと違ったアプローチ。
ここから先はネタバレあります
テーマ考察
これって何の物語だったの?
作品のテーマについて考察していきます。
結論から言うと、今作は
本当の自分と世間から見られる自分との折り合いをつける
ということをメインテーマに描かれたのではないか。
そう感じた理由について書いていきます。
今作の起こりは、自分を出しつつも母の思ういい子でいようとする13歳の少女メイがある日突然レッサーパンダになってしまったこと。
ずっとありのまま生きてきたはずだったメイは実は本当の自分を隠していくつかの人格を操っていたことが明らかになります。
思っていた自分が実は違った
そのこととメイ自身が葛藤していくことが本作のストーリーの骨子です。
そして、クライマックスではレッサーパンダへの変身能力を捨てるかどうかの決断が迫られます。
そこで初めて母のミンも同じように能力に苦しむとともに、いい子でいようとした苦しみを経験してきたことをメイは知ります。
そうした中で母との折り合いをつけることで、物語は幕を閉じます。
私が驚いたのは、この折り合いをつけた後、メイがレッサーパンダに変身する能力を残すという選択をとったことです。
この選択こそが、近年のディズニー作品にて描かれてきた「ありのままこそが美しい」に対して「ちょっと待てよ」と制作陣がメッセージをこめてきたのではないかと感じた点です。
なぜなら、メイは母と和解をした後も決して好き勝手に生きているわけではないから。
一見、能力を残したままメイは好き勝手に生きられるようになったかに見えます。
しかし、ラストシーンでは彼女は家の手伝いもしっかりしていますし、友達に誘われた際も話し合うことでどうするか決めています。
ありのまま=好き勝手に生きる
こういうわけではないことを本作では明確に描いています。
ありのままも大切
でも、周りの人をおもんぱかることも大切
どちらも尊重するには、ちゃんと悩んで悩んでときには口に出す
これは別に恥ずかしいことではなく、大人になる上での通過儀礼のようなものなのだと描いているように思いました。
そう考えると、最期のメイのセリフが印象的ですね。
野獣は誰の心にもいる
自分のぐちゃぐちゃしてたりめちゃくちゃだったり変わっている面はしっかりと隠して外に出す人はめったにいない
でも、私は出した
あなたはどう?
思っているだけじゃ伝わらないから、「ありのままを認めて」と主張するならそれを声に出してみよう。
今までのピクサー作品にはなかった現実的ながらも力強いメッセージがこめられているように思いました。
また、はっきりと答えを描かない点もこれまでのピクサーの歴史に突き刺さるような異質さも持ち合わせているような気も。
まとめ
めちゃくちゃ大好きな作品になりました!
この作品を見るだけでもディズニープラスに入る価値あり!と言い切っても過言ではないでしょう。
欲を言うなら、劇場公開してほしかったなーと。
ぜひ、今回の記事を読んで作品を見てくださったら嬉しいです。