こんにちは。てんすけです。
今回は3/11公開の映画「アンネ・フランクと旅する日記」の作品紹介とネタバレ感想と考察をしていきます。
あらすじ
第2次世界大戦下にユダヤ人の少女アンネ・フランクが空想の友だち宛てにつづっていた「アンネの日記」を原案に描いたアニメーション映画。「戦場でワルツを」のアリ・フォルマンが監督・脚本を手がけ、アンネの空想の友だち、キティーの視点からアンネの生涯をたどる。現代のオランダ、アムステルダム。激しい嵐の夜、博物館に保管されているオリジナル版「アンネの日記」の文字がクルクルと動き出し、キティーが姿を現す。時空を飛び越えたことに気づかないキティーだったが、日記を開くと過去へとさかのぼり、親友アンネと再会を果たす。しかし日記から手を離すと、そこには現代の風景が広がっていた。キティーは目の前から消えてしまったアンネを探し、アムステルダムの街を駆け巡る。
ネタバレなし感想&みどころ紹介
開始1分で入り込めました!
誰でもすんなり入れるわかりやすいストーリーとなっています。
この作品を一番見てほしいのは子供たちなんだという、制作陣の思いが伝わってきました。
また、アニメーションが美しい!
2Dと3Dを効果的に使った映像表現は本作に非常に合っており、1枚絵としても美しいシーンが多いんですよ。
ナチスの描写も本当に怖かった……。
アンネ・フランクの日記と現代に生きる我々との対話が主軸に描かれる今作。
現代においても、アンネの生きた時代とそう変わらない痛ましい出来事がおきています。
そんな現代に生きる我々に向けた力強いメッセージを感じられる本作。
ぜひ劇場でご覧ください。
ここからはネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意を。
ネタバレ感想
私達はアンネ・フランクという一人の人物と向き合わずにいたのだな。
これが映画を見終わった時の正直な感想です。
本作はキティーという、アンネが日記を書く際に語りかけた少女が現代に実体化して展開するというのがメインストーリー。
彼女はアンネが生きていた時代の感性をそのままもったまま現代を生きます。
そのため、彼女の行動から間接的にアンネ・フランクの人物像が見えてくるのです。
アンネ・フランクは決して文学者の立場から達観して、あの時代を見ていたわけではありません。
そこに生きる一人の人間だったのです。
友達とスケートをしたり、恋をしたり、そうやって生きるべき人だった。
だからこそ、現代に生きる我々が「アンネの日記」をただ反戦の象徴の文学として捉えるのは正しいことなのか本作は問いただすのです。
キティーが実体化した理由とメッセージ
キティーは、アンネの家の中にいる間は認識されず、外にいると認識されるようになるという特徴をもっています。
なぜこのようになっているのでしょうか?
アンネ自身のセリフにヒントがあります。
過去のシーンでキティーに言ったセリフです。
“頭の中から出ていって良いのは、本当に出ていってほしいと思った時だけよ”
このことから、アンネの家の外だけでキティーが認識されるのは出ていってほしいとアンネ自身が思ったから。
なぜなら、キティーはアンネの日記に書かれたことを外部に伝える語り部のような存在。
語るべきはアンネの家に来る人に対してではないからです。
今作の後半、戦争によって住む場所を追われた難民とキティーは出会います。
アンネの日記は、その時代を生きた等身大の人間がその時思ったことを綴ったもの。
作中、アンネは言います。
“不思議だわ。これほど人間の邪悪な面を見てきても、今なお心の底で私は信じてる。人間の本質は善だと。”
このことを伝えるべきは、そういった今なお迫害される立場にある人とそれを見ている傍観者たる人々。
だから、キティーは実体をもったのです。
I am here.
と、アンネの思いはここにあると伝えるために。
ここは原題のWhere Is Anne Frankにも対応しているのだなと思いました。
このように、アンネの日記を過去を思い返すものにしないように、現代でもその問題と向き合うためのものとするようにといったメッセージが本作には込められていたのです。
おわりに
鑑賞後に監督のインタビューを読みました。
なるほど。アンネ・フランク基金からの要請もあって作られたのが本作だったんですね。
本当に本当にアンネの日記の捉え方を勘違いしていたのだな〜と思い知らされた映画でした。
あそこに書かれたことは決して過去のものではない。
今なお我々も考え続けなければならないものなのだと。